過去のこと、その1



今日のアクセス数がなんかものスゴイことになっててちょっと今ひいてます。
みんな、私はまだ何も書いてないから、はやる気持ちを抑えてくださいね。


今日は過去のことなどについてひとつ。
というのも、私は今でこそフリーター派遣社員となって精神科とか心療内科なんてものに通って、
双極性障害かもしれませんねーみたいな診断を受けているが、メンタル面の問題はその前の高校生時代から続いていたことだった、というより高校生時代の方が自覚症状としてはひどかったのである。
なので今日はそんな高校生時代の話である。

思い起こせばまず中学生時代、
以前Twitterにて呟いたように
私は何もしなくても勉強がそれなりにできてしまう子であった。
今思っても嫌な奴だし、自覚している時点で今も変わらず嫌な奴である。

そしてプチ反抗期みたいなものの中で志望校を決める時に、自宅から遠くて制服の可愛いあの高校と決めたのだ。

あのときは、勉強しなくても受かるだろうし制服は可愛いし、家から遠いから帰るのが遅くてもだいじょうぶだ、なんてそんな安易な理由で、学校説明会も何も参加せずに決めた。

この辺の甘さがのちに自分のメンタルをゴリゴリ削ることになるわけだが、この高校、入ってみると所謂自称進学校であった。

休日を削って行われるわけのわからん模試や模試でないテストや国公立大学へのこだわりなど、言い出したらきりのない、あのたちの悪い校風。

一年次の冬から、欠席が目立つようになった。
これには、遠くて田舎の方に行くので交通手段が限られており、それが混み合うのでつらいという気持ちが十二分に含まれていた。

春になったらまた通えるようになった。
というのも、その当時の彼氏と自転車通学をしていたので、会うために家を出ていたからだ。
冬は自宅が全く違うところにあるのでルートが被らず、登下校が別だったのでそれが嫌だったのもある。
それから帰りまた一緒に帰るために学校をやり過ごせばいいだけだった。
今考えてもこの時の彼氏は最低だったし少しくらい不幸になってくれても良さそうなものだが、当時の私の通学を大いに支えてくれていたことは感謝すべきことである。

それでもまた冬はやってきたし、次はひとつ上の学年だった彼氏は受験である。
前年以上に会うこともままならず、連絡さえない時期もあった。
メンタルもガタガタだし寒いのでガタガタ震えて、学校をまた休みがちになる。
このとき私は二年生だが、担任がすごくいい人だった。
この時の担任は最後まで私だけでなく同期の生徒を暖かく見ていてくれた。
なので休みがちになった私にもときどき声をかけてくれた。
あのときは放っておいて欲しかったが今思えば非常に良い先生であったとわかる。

そして春がやってきて三年生になった。
彼氏は卒業して夜間の大学に行き、すれ違いの生活を経て間も無く別れた。
そして今のかれぴぴと付き合い始めたのである。
元彼がいるわけでもないので、通学方法も自転車通学から公共交通機関に変えた。
朝から彼氏に会えるわけでもない生活は私のやる気を奪い、私は冬でなくとも学校を休んだり遅刻しがちになった。

しかも、元彼の大学をさりげなく目指そうとしていたのにもかかわらず別れてしまったので目標すらなくなった。
私は高校の三年生にもなって、進路を決めるここぞという時になって、自分の目標が実はハリボテだったことに気がついた。
そしてそこに至るまで私には自分というものがなかったのである。
正しく言えば自分というもの自体はあったのかもしれないが、元彼といる間にいつの間にやらどこかにほっぽり出してしまったようである。

そこでやっとなくしたものに気がついて、9月ごろ、私は美容系の専門学校の合格通知を受けた。
まずは、ということで受けたAO入試で受かったのである。
ただ、そこでやるはずのことだって私が本来やりたいことかはわからなかった。
そしてさらに特待生の試験を受けたが、私は大して優遇される生徒にはなれなかった。

自分で借りた奨学金は自分で返さなければならないことはわかっていたので、ここで私は結果として入学を蹴ることになる。

この理由としては、自分が自分で思うほどできる子供ではなかったことがわかったから、そして単純にお金が惜しかったからである。

このへんをうやむやにしたまま卒業式を迎えて私は担任に進学やめましたと言ったのだ。そしてクラス代表で卒業証書を受け取って卒業していった。
とんだ迷惑生徒である。



この記述に至るまでに省いたことは次の記事に記そうと思う。
その2に続く。