発達障害かも?社会不安と鬱



私は仕事をするのが怖い
怖くて怖くて仕方ないから、今はろくに外も出れないで、全くお金も持っていない状況である

いわゆる社会不安だとかそういう感じなんじゃないかとおもうんだけれども

この間家で自分の食べた分くらいお皿洗いなさい、と言われた
言葉通り自分の食べた分のお皿だけを洗ったら
その後母に、普通さぁ残りも洗うよね
と言われてしまった

そのときはいや言われてないし
と思ったのだが
母からしてみればそれは普通でないらしいのと
こういう「言われたことを文字通りにこなすだけで、余計な気を回したりしない」みたいな行動パターンが決まってしまってるな、と自分で考えた為

まず「言われたことしかできない」で
検索をかけてみた。
するとそこにはゆとりは使えないとか、もっと自分を高めようみたいな記事ばっかり出てきて萎えてしまったので
「言われたことしかできない 障害」で検索をし直すと


と出てきた。

調べてみればなるほど
いくつか自分にも当てはまる点があり
また幼少期からそういったことが多かったような気がする、ということで
自分の鬱はこういう発達障害からきているのではないか?と思った。

ただ世の中には本当に発達障害で苦しんでいる人も多いからおおっぴらには言えない

だけど今日恋人との話で、
もしかしたら本当に発達障害入ってるかもね、となった。

通院したいが費用がない



どうすべきか…

「愛情」と「つらさ」



「愛情」も「つらさ」も、
大抵の人間に備わった感情である。


このふたつのうち、「愛情」は特に頻繁に特別視され、尊ばれている。大概の人間の基盤はここからできるものであるし、その理由は納得するに値すると思う。
時折、薄汚れた愛情も存在するがそんな愛情にも美しい部分を見出して崇拝し依存するのが人間であると思う。少なくとも過去の私はそうであった。


もうひとつの「つらさ」も、人によりその原因や心に占める割合は大小さまざまだろうが、誰しもに存在するものであると思う。
この「つらさ」が心に大きく幅をとって、未熟さ故にどうにも処理できないままにメンヘラは生まれるのであろう。


可愛さ余って憎さ百倍、愛しく思う気持ちが憎しみに転じて人を傷つけることはままあることだけれど、つらいという気持ちは何に転ずることもなく、大きくなればなるほどストレートに人を傷つける。

それ故に愛情とつらさは本来差別されるべきものではないはずで、
愛情は誰しもにある尊いものだから大切だけどつらさって誰にでもあることだしあなただけじゃないから気にするな、なんて理論は大元から間違いでおかしいのである。

誰しもが持っているからこそ、人は人が持つ愛情に対してどんな形であれ一応の共感を見ることができるわけであるから、同じく誰しもが持っているつらさだって、原因にまでは共感できずとも、そういう気持ちそのものには共感できるはずなのではないか?

それなのに、「つらさ」に対する他者からの反応は冷たい。
たぶん大元の感情や出来事を共有するのが愛情より難しいというのがあるのだろうが、それにしたって冷たすぎる。
体に免疫があるように精神にも免疫はあるだろうし、精神の免疫は体のそれよりずっと個人差があって歪みやすいものだと思う。
それに対する意識や配慮が致命的に欠けているから、極端なことを言えばメンヘラの周りの人間はその気持ちを理解することもできないし、何を言われても役に立つ気の利いた言葉のひとつも言えやしない。

いきなり自分の話になるが、中学のころ、同級生にリスカしている子がいると話題になったことがあった。(私ではない)
その話を受けて、その時の友人が言った「死にたい奴はさっさと死ねばいい」という言葉が今でも忘れられない。

中学生という幼い年代のころの話ではあるが、「死にたい」とか「つらい」という気持ちからくる自傷行為への理解がまるでないのだ。
この同級生のメンタリティは今も変わっていないと思う。

言葉を借りれば、「死にたい奴はさっさと死ねばいい」と思っているやつは永遠にそう思っていればいいが、そう思うからと言って死にたい人にそういうことを言うのはやめてほしい。

それから本題に戻れば、誰しもが持っている愛情とつらさ、いずれも差別せず、同等とはいかずともつらさをもっと理解して、誰にでもあるから気にするなと言える程度のものとそうでないものを見分けて欲しい。
誰にでもあることであってもその時つらいものはつらい。
誰にでもあることであっても、何人目の恋人であっても、愛しさが変わらないのと同じだろう。



こんなところでこんな拙い文章で訴えても、「つらいのはみんな同じ」などという戯言を吐く奴らに届かないのはわかっている。
これが読まれたところで理解もされないであろうが、一部の心ある方々に理解して頂ければ幸いである。


傍迷惑エセメンヘラ



朝から、死にたいとか喚いてぴぴを困らせてしまった。
結局普通に仕事しに来てるわけだから大丈夫なんだけど、たまにすごい勢いで、ウオオオ死ぬぞォォォ今日が命日じゃみたいな日がある。

死にたい。

デパスを飲んでも死にたい。

私は何を選べば正しいのかわからない。




救済



今は亡きメンヘラ神のTwitterIDとも言われる言葉が「救済」である。

とか言ってなんかちょっと文章書きたいだけなので見守ってあげてくださいね神への冒涜とかいわないでください!


私はメンヘラ神が自死する直前にまずアカウントを一通り見ていた。
その後彼女が自死をするわけだが、フォローしたわけではなく見ただけだったので報道を見てもその自殺教唆された女子大生とメンヘラ神とは到底私の脳内では結びつかなく、後々Twitterなどで知ったような形になる。

彼氏に言われて死ぬのはとてもよくわかる心理である。
私もかれぴぴに死ねとか一緒に死のうとか言われて具体的に案を出されたりなどしたら安易に死を選ぶだろう。

しかしこの自殺教唆をしたとされている学生はメンヘラ神の元彼にあたる人物であり、メンヘラ神はこの人物と別れたのち他の男と乱痴気騒ぎをしている。
これは彼女が境界性人格障害を患っていたが故のことであったとは思うが、それを受けて自殺教唆があったのかどうかは定かでないしいまさら掘り返すことでもないだろう。



ただ、多方面で言われていることは、メンヘラ神には文才があったということ。
私自身彼女の文章は好きだしああいう文が書けるものなら書いてみたい、引き込まれる文章である。

そして彼女が求めた救済。
それはブロンODやハーブや、その他彼女が経験してきた様々なものから得られるものではなかったらしい。

本当の救済とは、というと
なんだか偉そうだしなんかキモいしそんなもんは人それぞれであって、
ブロンODで救済された気になれる人もいるだろうしハーブなんかで救済された気になれる人もいるだろうし私みたいにかれぴぴさえいれば生きていけるみたいな馬鹿女もいる。

でも私は少しでも誰かの支えになったりしたい。
私が書く文章やツイートやその他を見て、こんなやつでものうのうと生きてるんだし大丈夫!みたいなベクトルのやつでもいいから支えになりたい。

こうして文におこすといろいろやりたいことあるしかれぴぴいる間はどう考えても死ねない。
せいぜいが貝印程度である。


過去のこと、その2



それで過去のことを前記事でつらつら書いたわけですが、どこで病む要素があったの?どこなの?と思った方が全体の95%くらいはいらっしゃったと思います。

なんか具体的には言えないんですけど、とりあえず私は、学校祭などのみんなで頑張る系の行事が得意ではありませんでした。
だから一年次や二年次にはその準備期間のほとんどを当時の彼氏と過ごしたり、三年次にはバイトと今のかれぴぴに明け暮れておりました。
そのことでやっぱり良くない印象を持たれて、Twitterとかで学校祭頑張りたいリーダーやってた子に準備しないなら学校来なきゃいいのにとか書かれたこともありました(三年次)。
だから行かないでやった、みたいなところもあったし、そんなのは理由付けでしかなくて本当に学校っていうもの、その組織性自体が嫌いだったっていうのもあります。
それと件のTwitterの書き込みからやっぱりそのリーダー格の子への見る目も変わって、恐怖の対象になりました。
その子とその周囲の笑い声が怖くて朝のHR始まる前に帰ったこともあります。
遅刻もするし早退もたくさんしたし、欠席もたくさんしました。

朝起きたら頭痛に吐き気がありました。
最寄り駅に向かうとさらにひどくなり腹痛までやってきたりします。
親に症状を訴えても、市販薬を飲めとか、あと医療関係者なので薬がたくさん家にあって対症療法薬をたくさん飲まされました。吐き気どめとか。

そして着いたら苦痛で苦痛で苦痛で、
だけどバイトは全然行けるし、みたいな生活でした。
あの時の生活の中で学校というものだけが嫌で、それが占める割合が大きすぎた。

学校にろくに行かずバイトばかりして、携帯ばかりして、と携帯を取り上げられそうになった時もあって、この時ばかりはかれぴぴと連絡が取れない!と本気で暴れたしそれを見て小さい方の弟は泣き叫ぶし性根の優しい大きい方の弟が怒鳴って止めるほど母親と喧嘩するという修羅場となり家を飛び出し、かれぴぴの家に一晩お世話になったりもしましたが、そんな事案があっても精神科に連れて行かなかったのでうちの親はもうダメなのだと諦めたのはこのときでした。


この親に、学校や何やらのことを話しても全部うやむやにされてしまう。
家出したって何も変わらない。
それなら学校が休みになるまで待って、自分でなんとかしよう。


具体的なビジョンがあったわけではありませんが、なんとなくのベクトルが定まったのはこのときだったのではないかと思います。
学校が休みになるというのは、受験のために学校がなくなる期間のことで、年明けからの予定でした。
そのときになれば学校なんか行かなくても何も言われない。
それを拠り所にして、ただ耐えたという印象があの頃にはあります。

あのときも、朝が来るのが怖かった。
朝起きられずにいると母親が、起こしに階段を上がってくる音。
あれがなんとも言えず恐ろしかったし、今でも少し恐ろしいです。

書いていて辛くなってきたけどまだ続けます。

家出をした時は、かれぴぴが自転車で迎えに来てくれて、それはそれはドラマティックな拾われ方をしました。
あのときにこの人とはずっと一緒だとおもいました。
彼は私を抱きしめて泣いていました。






結局私がここで何が言いたかったのかっていうと、明らかにおかしいと思ったら精神科であろうがすぐ受診するべきだということです。


私の家庭には、精神科は自己申告で通い始めるものではないという認識があり、私が高校生の時から通院を始めることは困難で結果的には不可能でした。

でもその後結局、進学を蹴ってやりたかったことをしていたにもかかわらず、ストレスから重度のうつ状態に陥り、通院をしてみることになりました。
そして診断書を見てみたら双極性感情障害。

もっとはやく治療をできていれば、もっと大元から治せているはずのことが、まったく効果があると思えない治療をされています。
それは現在の主治医が、
「直近二週間の症状のみに対しての治療」を行い、
過去のことに関しては「性格も大きく絡む部分であり、症状だったか性格かの区別がしづらい」という理由で
投薬もしないから、ということもあってのことですが、これも早期受診で防げたことだと思います。

少しでも熱が出たら内科にかかるのと同じように、少しでもおかしいなって思うことがあったら精神科だろうがちゃんと受診させて欲しかった。

私はこの経験から、ほとんど家族や他人に対して頼ったり信じるような気持ちはなくなりました。
結局自分のことは自分でしか気がつくことができない。
そして結局自分でなんとかしてあげるしかないのだとわかったからです。

周りに、親に認められて親のお金で通院している人がたくさんいますが、精神科にかかるということに抵抗のない親御さんで非常に羨ましく感じます。

私は病名がわかってから、親に精神科にかかっていたことを告げました。
自立支援の申請を代理でやって欲しかったからです。
それを告げた時親は、
「どうしてそういう大切なことを早く言わないの?」と言いました。
だから私は、
「高校時代、精神科にかかりたいと言っても取り合ってもらえなかったので、自分でやっただけだ」と言いました。

普通「大切なこと」という認識があるのであれば、本人から申告があった時に「そんなことは自分から言うものではない」などと突っぱねるようなことは言わないと思います。

病名を打ち明けた今でこそ親は少し態度が優しくなりましたが、私は今でも、親を信じることができません。
むしろ病名を知ってから態度を変えたから余計に、という部分もあります。

本当に何が言いたいかわからなくなってきましたが、私は少しでもこの記事を見て、私のような思いをする人がいなくなってくれればと思います。


ひとまずこの記事はここで終わりとなりますが、いま、なにか辛いことがあって精神科や心療内科の受診を考えている方がいたら、もう本当に悪いこと言わないのでサッサと予約とって行ってきてください。
特に夜眠れない方など。
病院で処方される睡眠薬は市販のものよりずっと安いですし、受診することで不眠の原因から対処できますので本当に試しに勉強だとでも思って行ってみてください。
その他の方も手遅れになってからでは遅いので本気でサッサと受診することをおすすめします。
私ですら甘えですなんて言われませんでしたので大体の方は大丈夫なので。

これを見て何か思うところがあった方、否定的な意見も肯定的な意見もあるかと思いますが何かあればご一報を。
匿名が良ければask.fmからでも構いません。



過去のこと、その1



今日のアクセス数がなんかものスゴイことになっててちょっと今ひいてます。
みんな、私はまだ何も書いてないから、はやる気持ちを抑えてくださいね。


今日は過去のことなどについてひとつ。
というのも、私は今でこそフリーター派遣社員となって精神科とか心療内科なんてものに通って、
双極性障害かもしれませんねーみたいな診断を受けているが、メンタル面の問題はその前の高校生時代から続いていたことだった、というより高校生時代の方が自覚症状としてはひどかったのである。
なので今日はそんな高校生時代の話である。

思い起こせばまず中学生時代、
以前Twitterにて呟いたように
私は何もしなくても勉強がそれなりにできてしまう子であった。
今思っても嫌な奴だし、自覚している時点で今も変わらず嫌な奴である。

そしてプチ反抗期みたいなものの中で志望校を決める時に、自宅から遠くて制服の可愛いあの高校と決めたのだ。

あのときは、勉強しなくても受かるだろうし制服は可愛いし、家から遠いから帰るのが遅くてもだいじょうぶだ、なんてそんな安易な理由で、学校説明会も何も参加せずに決めた。

この辺の甘さがのちに自分のメンタルをゴリゴリ削ることになるわけだが、この高校、入ってみると所謂自称進学校であった。

休日を削って行われるわけのわからん模試や模試でないテストや国公立大学へのこだわりなど、言い出したらきりのない、あのたちの悪い校風。

一年次の冬から、欠席が目立つようになった。
これには、遠くて田舎の方に行くので交通手段が限られており、それが混み合うのでつらいという気持ちが十二分に含まれていた。

春になったらまた通えるようになった。
というのも、その当時の彼氏と自転車通学をしていたので、会うために家を出ていたからだ。
冬は自宅が全く違うところにあるのでルートが被らず、登下校が別だったのでそれが嫌だったのもある。
それから帰りまた一緒に帰るために学校をやり過ごせばいいだけだった。
今考えてもこの時の彼氏は最低だったし少しくらい不幸になってくれても良さそうなものだが、当時の私の通学を大いに支えてくれていたことは感謝すべきことである。

それでもまた冬はやってきたし、次はひとつ上の学年だった彼氏は受験である。
前年以上に会うこともままならず、連絡さえない時期もあった。
メンタルもガタガタだし寒いのでガタガタ震えて、学校をまた休みがちになる。
このとき私は二年生だが、担任がすごくいい人だった。
この時の担任は最後まで私だけでなく同期の生徒を暖かく見ていてくれた。
なので休みがちになった私にもときどき声をかけてくれた。
あのときは放っておいて欲しかったが今思えば非常に良い先生であったとわかる。

そして春がやってきて三年生になった。
彼氏は卒業して夜間の大学に行き、すれ違いの生活を経て間も無く別れた。
そして今のかれぴぴと付き合い始めたのである。
元彼がいるわけでもないので、通学方法も自転車通学から公共交通機関に変えた。
朝から彼氏に会えるわけでもない生活は私のやる気を奪い、私は冬でなくとも学校を休んだり遅刻しがちになった。

しかも、元彼の大学をさりげなく目指そうとしていたのにもかかわらず別れてしまったので目標すらなくなった。
私は高校の三年生にもなって、進路を決めるここぞという時になって、自分の目標が実はハリボテだったことに気がついた。
そしてそこに至るまで私には自分というものがなかったのである。
正しく言えば自分というもの自体はあったのかもしれないが、元彼といる間にいつの間にやらどこかにほっぽり出してしまったようである。

そこでやっとなくしたものに気がついて、9月ごろ、私は美容系の専門学校の合格通知を受けた。
まずは、ということで受けたAO入試で受かったのである。
ただ、そこでやるはずのことだって私が本来やりたいことかはわからなかった。
そしてさらに特待生の試験を受けたが、私は大して優遇される生徒にはなれなかった。

自分で借りた奨学金は自分で返さなければならないことはわかっていたので、ここで私は結果として入学を蹴ることになる。

この理由としては、自分が自分で思うほどできる子供ではなかったことがわかったから、そして単純にお金が惜しかったからである。

このへんをうやむやにしたまま卒業式を迎えて私は担任に進学やめましたと言ったのだ。そしてクラス代表で卒業証書を受け取って卒業していった。
とんだ迷惑生徒である。



この記述に至るまでに省いたことは次の記事に記そうと思う。
その2に続く。

前回までのあらすじ



前回かれぴぴにTwitterアカウント(@SkirtR58)見せるっていうことでこのブログも見るもんだと思って思って思いつめて前記事に至ったんですけど、結局なんか全然ブログ見なかったんであの記事消そうか迷ってます。

かれぴぴ「俺以外のために買う服やアクセサリーも俺以外に見せるブログもいらない
などと素敵にヤンヘラ?っぽくなってますが


Q.この人だいじょうぶなんですかね?

A.私と付き合ってる時点でだいじょうぶではないと思いますよ。



8日はそんなかれぴぴとの記念日です。
かれぴぴが物損事故起こしたり私が新しい仕事に就いたりなど色々あるけどこれからも一緒にいられるといいのではないでしょうか!?



要するに大好きってことです。